テンション・ノート(仮)


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「熱」について〜ある音楽家のエチュードを聴いて

2018年10月2日

 私は90年代初頭に美術大学に入学しました。
 入学した年の秋に、ある音楽家のエチュードを聴く機会がありました。今思えば「気象学」を踏まえた「熱」についての哲学的な考察(?)が「音楽」というかたちで表現されていたと推測され、さらにそのテーマについて鑑賞者にも考えることを促す「問いかけ」がなされていました。
 入学した時点で3年生から「金属」もしくは「ガラス」のどちらかの素材を扱うコースを選択することが決まっていた私は、同期生たちより一足早く2年生の冬からガラスを素材にしたものづくりを学ぶことになったのですが、高温で溶けたガラスを見つめて向き合うことを通してその音楽家が提示した「熱」というテーマについて考えることができる環境にたまたま居合わせていることに気づいたのです。
 それは「造形表現」というより(大げさに言えば)「哲学」と呼んだほうが近い営みだったかもしれません。思索は現在に至るまで続いており(これからも何らかのかたちで続いていくと思われます)、かれこれ四半世紀にわたりそのテーマについて考えながら暮らしてきたのですが、今ではすっかりベテラン作家となった「ガラス工芸」を続けている同年代の人たちに、20年以上の時を経て「完成」した私の拙い「作品」(?)を観てもらっても「戸惑い」と「困惑」といった反応が返ってくるばかりで、つくづく「造形表現」とはかけ離れた方向に突き進んできてしまったのだと思わざるを得ない最近です。一方で、「ガラス」から離れた人や遠い人や縁のなかった人で、分野は異なるものの何らかの「表現」に第一線で携わっている人たちから、こちらが驚いてしまって恐縮してしまうほどの好意的で肯定的な言葉をかけていただいたりすることも事実としてあり、とても嬉しく思うのと同時に前者とのギャップに複雑な思いにもさせられます。
 卒業制作(一般的な大学の卒業論文にあたる)当時の展示会に添えた自作の「副読本」には明らかに「気象学」への興味があったことをうかがわせるグラフィックが使われており、その頃にそのことを自覚できていればまったく違う現在の暮らしがあっただろうと想像力を逞しくして「並行世界」を夢想する最近ですが、「何を始めるにも遅すぎることはない」というよくある言い回しに励まされながら「ガラス」から「気象学」にモチーフを変えて「熱」についての思索を続けていこうという決意を新たにしています。