テンション・ノート(仮)


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村上龍「おしゃれと無縁に生きる」

2018年10月13日

 文庫版の解説を読みたくて発売を待ちわびて買いました。ちょっと変わった経歴の若い人が「どんな解説を書くのか?」という完全な興味本位で。
 本屋で平積みになっているのを見つけた時に目に飛び込んできた、帯にある「今、おしゃれにも幸福にも成功にも、定義がない。」というコピーに(「売るために考えられたものなのだから真に受けても仕方がない」と思いながら)、いきなりちょっと考えさせられました。恥。
 解説は、著者とどんな縁で知り合ってその経緯で感じたことと普段感じて考えていること、それを踏まえてこの本と著者に接して感じたことについて、率直な筆致で綴られていました。人は人と接する時に自覚の有無とは関係なくとにかく相手を「カテゴライズ」してしまうもので、そうされることにいろいろな思いを抱きながら過ごしてきたが、この本の著者はそういう人ではなかった、というような話でした。私自身、普段感じているそういった違和感について文章として明瞭に表現されていて「なるほどなぁ」と感心させられたり考えさせられたりしました。
 「カテゴライズ」は、するのもされるのも「楽だから」なのだろうと思いますが(ご近所さんに「お仕事は何をされているんですか?」と聞かれた時に「美術家です。」と答えるより「会社員です。」と答えた方が楽に決まっているもの)、「されること」には誰しも少なからず抵抗や違和感を感じながら過ごしているのではないでしょうか。
 それから、相手を「カテゴライズ」するタイミングは、実際に会って少しだけでも会話をした後どころか(それでも不十分な時間ですが)、こういう社会ですから「実際に会う前」と言うか、ネットやSNSで相手の短くて簡単なプロフィール(?)を流し見した瞬間に、既にその人を「カテゴライズ」してしまっているものなのかもしれません。そもそも、人間なんて文字通り「人それぞれ」なのですから、「カテゴライズ」をしようとすること自体に無理があるのかもしれませんね。
 「偏っているに決まっている限られている自らの引き出しを片っ端から開けまくって目の前にいる人を収めるべきカテゴリーを探しまくる」みたいな、「神様」を自負しているかのような教職にある人も身近に実在していたりして(しかも「美術」の!)驚かされるばかりですが、「他人をカテゴライズしようとする人なのか否か?する場合はどのように?」を観察することで、その人がどんな人なのか?が「カテゴライズ」できる、とも言えるのかもしれません。あぁ、ややこしい。自戒を込めて。


田子美紀