テンション・ノート(仮)


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「事情」は、もはや、有るのが普通

2019年2月21日

 恥じたり隠してきた訳では決してないのですが、俺っちの両親は身体障がい者で、特に2011年に亡くなった父は重度の脳性麻痺(小児麻痺)でした。ただ、若い頃は自力で歩けるくらいには恵まれていました。
 小学生くらいの頃は、友だちたちのお父さんと違うことに戸惑ったりいろいろ思ったりしましたが、これを読んでくださっている皆さんにお会いした高校生くらいの頃にはそれが「当たり前」になってしまったので、「敢えて自分から話すことはなかった」と言うかホントに「つい、うっかり」話しそびれてしまったのです。皆さんだってそのくらいの年頃になれば、何か特別に面白いエピソードでもなければ、自分の親の話を敢えて友だちに話すことはあまりないと思いますし、実際、俺っちにはそれくらいの年頃に友だちに親の話をされた記憶はほとんどありません。それくらい、俺っちにとっては、自分の親が身体障がい者であることは「当たり前」だったのです。
 実は、俺っち自身も、もう10年以上、ちょっとした「事情」を抱えて暮らしていて、つまり俺っちの4人家族は「事情」を抱えている方が多数派になってしまったのです。
 最近、悩みには縁遠そうだった友だちが発達障がいを抱えた自活が難しい義理の弟の面倒を見ていることを知ったり、俺っちが10代で初めてギターを買いに行った時に付き合ってくれた当時からギターがうまかった友だちが難病を抱えていて手が変形してしまってもうギターが弾けなくなってしまったり、発達障がいのお子さんを育てているご自身も2度目のがんの手術を受けたという友だちがいたり、と、そういう「事情」みたいな話ばかりなんです。
 ちょっと見回しただけで、身近にこれだけたくさん「事情」があるのですから、もはや、それが「普通」なんだと今さら思い至った次第です。
 恩師に話したら、「誰しも自分の事情が特殊と思いながら成長していくものだ」と、もう学費も払っていないのに、そんなに大事なことをさらりと教えてくださいました。つまり、「自分の事情は特別」みたいには思わない方がいいみたいです。誰しも、大なり小なり、そういう何らかの「事情」を抱えているのが「普通」で、どんなに順風満帆そうな人でも何かあるのです。今さらですが、そういう心構えで人に接するよう心がけるようになりました。
 あと、最近、有名人のそういった「事情」みたいな報道が続きましたが、俺っちは少なくとも自分や自分の家族のそういう「事情」は、「負わされた」のではなく「与えられた」ととらえています。