テンション・ノート(仮)


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抽象

2020年6月3日

 高校生の頃、パウル・クレーの絵に惹かれるものがあって、父の、出版社に勤めていた友人に、高くて立派な本を2割引で取り寄せていただきました。でも、どうしたらああいう表現になるのか?が、さっぱり分からずに、自分では抽象画は描けないと思っていました。
 予備校で石膏デッサンを描くようになり、ますます具象の方向に進んでいきました。美大に入っても、基礎課程では、相変わらず、主に具象的な表現を教わりました。抽象とは距離を置いたままでした。

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 基礎課程が終わる頃に、阪神・淡路の大震災と地下鉄サリン事件が立て続けに起こりました。

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 専修したガラス工芸では、吹きガラスの技術を磨くことに力を注ぎました。クラスメートたちより一足早く下町にある工場の体験コースに通ったり、先輩たちのアシスタントをさせてもらったり、クラスメートたちを押し退けて2年続けて夏の合宿に参加したりして、技術を磨くことに懸命でした。器を作るということは、「具象表現」に近かったと思います。

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 卒業制作を行うにあたって、やはり、阪神・淡路の大震災と地下鉄サリン事件のことが頭をよぎりました。特に、地下鉄サリン事件のことは気になりました。悲惨な出来事を上回る美を描いて、自分が人間として生きていくことを肯定しなければならないと、漠然と思っていました。しかし、それをカタチにするには圧倒的に時間が足りないと感じていました。自分が持っている吹きガラスの技術のレベルを踏まえた美では、到底、思い描く美には届かないと思ったからです。つまり、当時の俺っちにとって、「具象表現」には限界があったのです。

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 そういう経緯で、抽象に向かわざるを得なかったのだと、今、思います。つまり、パウル・クレーの絵に出会った時には自分では描くことができないと思った「抽象表現」に、多くの同年代の人たちよりよっぽど向き合い続けてきて、自分が無我夢中で描いた価値観(≒作品)の大きさを、今、痛感するばかりなのです。


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